坐忘(ざぼう)

仏教用語として使われていますが、出典は「荘子」です。
五体から力を抜き去り、一切の感覚をなくし、身も心もうつろになりきった状態のことです。つまり、虚心とか無心の境地のことです。

「虚心」(先入観やわだかまりがなく、心が素直であること)
勝海舟は、「坐忘」について、次のように語っています。
「人は何事によらず、胸の中から忘れ切るということができないで、始終それが気にかかるというようでは、そうそうたまったものではない。いわゆる坐忘といって、何事もすべて忘れてしまって、胸中闊然として一物をもとどめざる境界に至って、はじめて万事万境に応じて縦横自在の判断ができるのだ」
確かに
坐忘の境地で対処するように、ということですね
(*´﹀`*)


仏教用語として使われていますが、出典は「荘子」です。
五体から力を抜き去り、一切の感覚をなくし、身も心もうつろになりきった状態のことです。つまり、虚心とか無心の境地のことです。

「虚心」(先入観やわだかまりがなく、心が素直であること)
勝海舟は、「坐忘」について、次のように語っています。
「人は何事によらず、胸の中から忘れ切るということができないで、始終それが気にかかるというようでは、そうそうたまったものではない。いわゆる坐忘といって、何事もすべて忘れてしまって、胸中闊然として一物をもとどめざる境界に至って、はじめて万事万境に応じて縦横自在の判断ができるのだ」
確かに

坐忘の境地で対処するように、ということですね
(*´﹀`*)
スポンサーサイト
